達人が語る

 

今日から11月、今年も残り60日というのだから驚きですね。

 

さて、珍しくブログを書いてみます。

当院日曜日はだいたい開いていますが、10/22はお休みをいただきました。

休みにしてまでも聞きたい講演会があったからなのです。

武道、音楽、料理、スポーツ、どの業界においても必ず「名人」や「達人」そう呼ばれる人達がいますが、鍼灸界も例外ではありません。

今回講演された先生は、そんな稀有な存在の一人。

大御所of大御所 その名は”池田 政一”先生

実際にお話しを聴くのは初めてではなく、約20年前にも特別講演を聴いたことがありました。

 

齢80前とのことですが、声は大きく、まだまだ現役どころかさらに学び続けていることが凄い。

キレのあるトークの中に冗談を交え、退屈させない講演が2時間が続く。

さらに後半は実技まで見ることができました。

 

私は6月に全日本鍼灸学会にも参加しましたが、あそこでは眠くなる話ばかりだった(笑)

全日本鍼灸学会は学術団体なので基礎研究が中心であり、これも当然大事なのですが、正直に言うと臨床家としては臨床の話がおもしろい。

 

ここで、脈の診かたがどうだの、糖尿病は脾虚腎虚だの、陽明経に熱が停滞だの

そんなことはブログをご覧になっている方には関係ないので書きませんが、

池田先生は講演の冒頭いきなりこんな発言をされた。

 

「(自分の診ている)患者さんが良うなったら、半分は神様が治したと思った方が良い。

それくらいで良い。」

 

一見、どういうこと?そんなんで良いの!?と患者さんは思うでしょう、

鍼灸師側も「自らが治したという自信をもたないとだめだ」と言われる先生もいるはず。

 

しかし、私個人的にはこの表現はわかる気がするし、あえて「神様」という言葉をチョイスするところがいかにも池田先生っぽくて私は好きなのです。「それくらいに思え」っていうのもなんか好き。

神様といっても宗教的な意味合いではなく、その患者さんの持つ自然治癒力、時間の経過で良くなることもあるし、何か気分が良くなることがあって痛みが改善したのかもしれない(痛みは結局脳で感じるので精神と痛みは大きく関係している)

そういう事象を全てひっくるめて「神様」と表現したのではないでしょうか。あくまで私の勝手な解釈ですが。

真意は置いておくとしても、とにかく池田先生の言いたいことは「己の技術に過信するな、調子にのるな」ということです。

 

実はこの「自分の鍼が治したと思うな」というメッセージは多くの名人と呼ばれる鍼灸師が書籍で書いている。なぜなのか。

「そりゃ年齢を重ねて性格が丸くなったんでしょう」

「いやいや、もとから聖人だか仙人だかそういう謙虚な人だったんだよ」

そのどちらもあるかもしれません。

正解はいろいろありそうですが、この先生方には共通点があります。

それは経絡治療や古典治療と呼ばれる鍼灸治療スタイルであるということです。

経絡治療て、なんやねん!と一般の患者さんは思うでしょうが、

めっちゃくちゃ簡単に言ってしまうと

 

”全ての疾病は経絡の偏り(アンバランス)で起こる。だったら、鍼灸を用いてその偏りを整えましょう。そしたら、自然と疾病や不調も治ります。”

というもの。

そんな経絡治療の考え方があるので、俺の鍼で病気を取り除いた!俺が治した!とは古典派の先生達はあまり思わないのかもしれませんし、池田先生の「半分は神様が治したと思え」という謙虚な姿勢につながるのかと思います。

 

自分の持つ知識や技術、やってきた経験を信じる(自信)ことは大事ですが

過信せずに学び続けなければいけない

と自らを戒め、講習会でとったノートを読み返して日々の臨床に望んでいますが・・・

 

いや、これが難しい!

脈の診かた一つとっても、先生方によって微妙に言うこと違うんですよね。

私も既に41歳、修行期間が6年、船で鍼して1年、開業して来年で10年

少しわかってきたかなと思うと、新たな課題が現れる。

鍼灸道…まだまだ険しく長い道のりですが、簡単にはいかないからこそ面白い!

 

 

 

 

 

 

 

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